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2024年2月4日 礼拝

説教概要

喜び歌おう

小泉 美早子牧師

​詩編96篇

主に心を向けることを絶対に止めてはいけない。主に心を向けないなら、間違いなく自分に心を向けるしかなくなるからです。人のできることだけに集中するだけなら、壁にぶつかれば絶望しかないではありませんか。自分をどこまでも見つめたところで、一体自分が何様だと言うのでしょうか。自分を取り巻く諸々の困難や問題にではなく、私たちの目を主に向けるのです。そこにしか喜びと希望はないのですから。

 

希望を歌うと言うことは、将来を見ると言うことでもありましょう。もっと言うと終わりに目を向けるということでもある。なぜなら歴史を作られるのは主なのですから。終わりの日に主が世界を正しくして下さることをどこまでも信じることもできるはずではありませんか。目の前のつらいことに一喜一憂するのではなく、すべてが永遠の喜びへと突き抜けていくプロセスだと受け止めることもできるはずなのです。

 

今起きているすべてが途中経過にすぎない。物語で言うなら、まだ最終回を迎えたわけではない。それなら勝手に試合終了にするわけにはいかないでしょう。独断でもう自分はつんだと決めつけるわけにもいかないでしょう。クライマックスはまだ先です。どんな暗い音色も前奏曲に過ぎないのだと言い聞かせるわけにはいきませんか。まだ結論が出てもいないことを早急に判断してことはあまりにも愚かなのです。

 

途中経過であるとしても、はっきりと決まっていることはあります。確かに主が来られるという一点だけは動かない。必ず主の救いがやってくる。ならば、私たちのなすべきことはただひとつ待つことなのです。主の到来を待つのです。本当に信じている方を待っているのなら決してつらくはない。たいていのことは忍耐できる。何も暗い顔をして待つこともありません。顔を天にあげ、喜びながら、今か今かと心待ちに待てばいい。

先週の説教概要

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